たびたびご紹介している横浜山手西洋館ですが、今日は
建築時のミステリーを持っているブラフ18番館のお話を
させて頂きたいと思います。
横浜山手地区に保存•公開されている西洋館7館のうち、
ブラフ18番館だけが建築主•設計施工者が明らかになっていません。
解体•移築時の調査で、関東大震災前に建っていた洋館の部材を
流用して建てられたものだと判明したので、当時の建物の所有者である
オーストラリア人貿易商のR.C.バウデン氏が建てたものではないかと
いう推測はされています。
しかし関東大震災の1年3ヶ月後にバウデン氏は、ブラフ18番館となった
建物を手放し母国に帰国してしまっているので、氏がどの程度再建した
建物の建築に関与したのか、実際氏が住んだのかがわからないのです。
推論のヒントはいくつかあります。
再建された建物は、震災前の明治20〜30年に建築された建物に酷似
していること。
横浜が震災で壊滅的な状況だったとはいえ、土地建物の所有者である
バウデン氏に許可なく他人が建築を行うのは無理があることです。
また外観からはわかりませんが、ブラフ18番館は地震対策がされている
建物なのです。
当時まだ新しい技術であったコンクリートによる布基礎が打たれています。
それは現在の基準よりも遥かに深く、広いものになっています。
そして柱は4寸角(約12cm角)と現在の標準よりも太いものが使われて
います。
加えて外観のモルタル塗りも、耐火性を考えたものです。
ここまでの対策を打ったのは、バウデン氏自身が震災を体験し、その
怖さを実感したからではないでしょうか?
ご自身が横浜に住み続ける為には、その対策が必要だったのでは?
この推論を助勢する出来事がありました。
2007年バウデン氏の孫夫妻が、オーストラリアからブラフ18番館に
来訪されたのです。
「私は、バウデンの孫です。」と名乗られて。
これはバウデン氏がブラフ18番館を建てた、もしくは住んだという
認識がなければあり得ないことです。
残念ながらバウデン氏の孫夫妻への追跡調査は行われなかったので、
ブラフ18番館建築時のミステリーはミステリーのままです。
しかし氏の母国オーストラリアを思わせる明るく開放的な洋館である
ブラフ18番館を見るたび、横浜貿易業界の重鎮であり、外国人社交界
の中心人物だったバウデン氏が、横浜の復興を願い、先鞭となるべく
建築したのではないかという思いが強くなります。
いつかこのミステリーが解明されることを願ってやみません。